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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)5597号 判決

原告

紀田長次郎

被告

ペツト商事株式会社

ほか一名

主文

被告らは各自原告に対し、金八八万一二〇六円およびこれに対する昭和四八年一月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを八分し、その七を原告の負担とし、その一を被告らの負担とする。

この判決は原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告らは各自、原告に対し、金八六四万三五八円およびこれに対する昭和四八年一月一五日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四八年一月一五日午後三時二五分頃

2  場所 大阪府八尾市本町三丁目一一番二七号先路上

3  加害車 軽四輪貨物自動車(登録番号六泉に四二八四号)

右運転者 被告濱井宗一

4  被害者 訴外紀田玉栄

5  態様 前記日時、場所において、訴外紀田玉栄が横断歩道を東から西に向つて横断中、被告濱井運転の加害車が西から交差点を北に向つて左折した際、同訴外人を跳ねとばしたもの。

二  責任原因

1  運行供用者責任

被告ペツト商事株式会社(以下被告会社という)は、加害車を保有し、事故当時これを自己のために運行の用に供していた。

2  使用者責任(民法七一五条一項)

被告会社は、被告濱井宗一を雇用し、同人が被告会社の業務の執行として加害車を運転中、後記過失により本件事故を発生させた。

3  不法行為責任(民法七〇九条)

被告濱井は自動車運転者として信号機のある交差点を左折する際適切な左折をせず、しかも進路前方注視をなさず、漫然と進行したため、横断歩道を横断中の歩行者である訴外紀田玉栄を跳ねとばし、同人を死亡させた。

三  損害

1  受傷から死亡までの経緯

左膝関節骨折、顔面、四肢挫傷創、腰部挫傷、消化器管大量出血、受傷後約四か月間入院治療をうけたが、遂に死亡した。

2  治療関係費

(一) 治療費未払分 一〇五万四五八〇円

(二) 入院雑費 六万五七八五円

(三) 入院付添看護費 四六万一九六〇円

3  休業損害

訴外紀田玉栄は、本件事故による受傷のため、事故当日から昭和四八年五月一四日まで入院加療し、就労が不可能であつた。従つて同人はこの間に少くとも賃金センサス所定の一か月四万七一〇〇円の割合による四か月分(合計一八万八四〇〇円)の収入を失つた。

4  訴外紀田玉栄の死亡による逸失利益

同人は事故当時自宅でふとんの加工をして、相当の収入を得ていたものであるが、事故当時の昭和四八年度賃金センサス所定の給与額によつて、その逸失利益を算定すると、つぎのとおり一七一万九六三三円となる。

算式 年収六六万九九〇〇円(女子労働者六五歳以上)×〇・五(生活費五〇%控除)×五、一三四(就労可能年数六年間のホフマン係数)=一七一万九六三三円

5  慰藉料 七六〇万円(うち六〇万円は受傷治療中の分)

6  葬式費用 二〇万円

7  弁護士費用 四〇万円

四  損害の填補

原告は日産火災保険株式会社から自動車損害賠償責任保険金三〇五万円の支払をうけた。

五  ところで原告は、被害者である訴外紀田玉栄の子(唯一人の相続人)として、亡玉栄の権利義務一切を相続により取得した。

六  本訴請求

よつて請求の趣旨記載のとおりの判決(遅延損害金は民法所定の年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

請求原因一(事故の発生)の事実は認める。

同二(責任原因)については、過失の具体的内容は争うが、その余は認める。

同三(損害)については、原告が受傷した事実は認めるが、その余は争う。

本件事故による受傷と同人の死亡との間には因果関係がない。

同四(損害の填補)は認める。

同五は不知。

本件事故と訴外紀田玉栄死亡との間には因果関係の存しないことにつき、以下に詳述する。

訴外紀田玉栄は本件事故発生から約四か月後に死亡したが、これは同人の既病症ないし他の原因に基づくものである。即ち同人は本件事故で加療三か月を要する左膝関節骨折、顔面、四肢、腰部挫創傷等の傷害を負つたが、この傷害は実際に三か月経過後の昭和四八年四月上旬頃には既に治癒ないし軽快していた。同訴外人は同年五月一四日に死亡したが、同人の死因につき治療に当つていた長吉総合病院の登根医師は直接死因として低蛋白血症、心衰弱、間接的原因として腟、直腸ろうと診断し、行政解剖を行なつた大阪大学医学部の若杉医師は、直接死因として水賢症、間接原因として子宮摘出後の癒着、さらにその原因として子宮癌の疑いをあげている。

また若杉医師は解剖の結果、膀胱、直腸ろう周辺壊死、子宮切除症、人工肛門造設術後状態、左水腎症、動脈硬化症、全身浮腫、組織検査により膀胱、腎臓に実際に癌細胞、間質肺炎の主要所見を認めている。

つぎにカルテ等の記載から同人は昭和四三年四月七日に大阪国立病院で子宮筋腫、腹膜炎の手術をうけ、当時一〇回に及ぶコバルト治療を行ない、同院を同年九月一〇日に退院したが、その直後から腹壁ヘルニヤが発病し、昭和四四年三月に牧野病院でヘルニヤを手術し、退院するも再発したので再度手術したが、昭和四五年八月に再発、八尾市民病院で受診したがいかなる理由からか手術を拒否し、当時から腹帯を施行し、事故当時まで腹痛が間断なく続いていたし、事故前に胸の苦しさを訴え近所の医師の手当てをうけたりしていたことが認められる。これらの症状からみると、同人にはかなり以前から癌細胞が増殖していた疑いもあり、体調も相当悪化していたにも拘らず、それに対する適切な処置を施さないでいたことが明らかであり、事故当時相当老齢でもあつたことからしても、その死因は若杉医師の指摘どおり子宮癌で尿道が塞がれ、腎臓に尿がたまり圧迫されたことによる水腎症であり、本件事故による受傷とは全く無関係というべきものである。

第四被告らの主張

被告らが損害賠償責任を負うのは訴外紀田玉栄の本件事故による傷害に伴う損害に限られるところ、被告らから原告が自認している分以外につぎのとおり損害の填補がなされている。

治療費 五万円

看護料 四六万一九六〇円

損害内金 四万七〇〇〇円

第五被告らの答弁に対する原告の反論

訴外亡紀田玉栄は、本件事故による受傷後二日目から血圧低下、意識混濁および吐血、下血をきたし、シヨツク状態を呈し、総輸血量三六〇〇ミリリツトルを輸血したのであるが、同人の身長は一五三センチメートル、中肉で体重は四三キログラム程度、而して血液量は通常その体重の約一三分の一相当量であるから、同人は本件受傷のため極めて短期間のうちに体内の総血液量以上を出血し、輸血したことになる。

このことは、同人が当時六七歳であつたことを考えると、身体を極度に衰弱させたことが容易に想像でき、出血多量のため、栄養障害、血行障害を惹起し、水腎症を起したことは登根医師の証言からも明らかである。

かように、訴外紀田玉栄は本件受傷による出血が原因となつて死亡したものであるから、被告らは同人の死亡による損害についても賠償義務を負うべきものであり、自動車損害賠償責任保険でも、本件事故と訴外玉栄死亡との因果関係を全面的に認め、保険金を給付している。

証拠〔略〕

理由

一  請求原因一、二の事実については、被告濱井の過失の具体的内容および本件事故により訴外紀田玉栄が死亡したとの点を除いては、当事者間に争いがないところ、成立に争いのない乙第一〇ないし乙第一三号証、乙第一八号証によると、本件事故発生現場は幅員一〇メートルの東西に通ずる道路と同じ幅員の北方に通ずる道路(これら道路の両側にはいずれも幅員二・五メートル宛の歩道が併設されている)が交差する三差路交差点北詰の横断歩道上であつて、同交差点は信号機により交通整理が行なわれておるが、対面信号が赤色でも西方から北方へ左折はできるようになつている。被告濱井は加害車を運転して東進してきて同交差点西詰で三台目に位置して一時停止したところ、最先頭車は左折して行つたが、二番目の車が直進車であつたためそのままでは左折して行くだけの余幅がなかつたので、同車が発進するまでその後に続いて対面信号が青色に変るのを待つていた。すると対面信号が青になり直前に停つていた前記直進車が進行して行つたので、自車も左折するため発進し交差点に進入直後、対向してきた普通乗用車が交差点に進入右折して行つたのを認め、その後時速一五キロメートルくらいで左折を開始したが、同交差点北詰には横断歩道が設けられてあり、当時雨がかなり強く降つていたものの、自車左前方(横断歩道西側)にのみ気を配り進行していたため、右横断歩道内を東から西に向け傘を前かがみにさして小走りに進んでくる訴外紀田玉栄を自車右前方約四・二メートルに至るまで気づかず、発見後衝突の危険を感じブレーキをかけたが及ばず、同人と衝突し路上に転倒負傷させた事実が認められる。

そうすると、自動車運転者たる被告濱井としては自車進路前方にある横断歩道を東西の青信号に従い横断してくる歩行者のあることは当然に予測し得るところであるから、進路前方左右への注視を厳にし、かつ横断歩行者の通行を妨げないようその手前で停止できる速度で進行すべき注意義務があるのに、これを怠つた状態で進行した過失により本件衝突事故が発生したことが明らかであるから、被告会社は自動車損害賠償保障法三条により、被告濱井は民法七〇九条によつて、いずれも本件事故で被害者たる訴外紀田玉栄が被つた損害を賠償すべき責任がある。

二  成立に争いのない乙第四号証および被告濱井宗一本人尋問の結果によれば、訴外紀田玉栄(明治三八年四月一日生)は本件事故により左膝関節骨折、顔面、四肢、腰部挫創傷の傷害をうけた事実が認められ、さらに証人登根一広の証言によりその成立を認め得る甲第三号証の一によれば、同訴外人は右傷害治療中腟、直腸ろうを併発し、昭和四八年五月一四日死亡した事実が認められるので、進んで右死亡(その原因とされる腟、直腸ろうの発病)は本件事故による前記受傷と因果関係があるものか否かについて判断するに、前掲甲第三号証の一、成立に争いのない甲第七号証の一〇、乙第六号証、証人登根一広の証言およびこれによりその成立を認め得る甲第五号証によれば、訴外紀田玉栄が本件事故後死亡時まで引続き入院加療をうけていた長吉総合病院の登根一広医師は同訴外人の死因について腟、直腸ろうがもとで低蛋白血症、心衰弱により死亡との診断をなし、腟、直腸ろう発生の原因については同医師は「局所の栄養障害、血行障害」がもとで循環障害を起し腟壁、直腸壁が段々破れ、腟と直腸、肛門の間に穴があいてしまつたのであろうと推測していたこと、しかしながら成立に争いのない乙第五号証、乙第七号証の一および証人登根一広の証言によれば、同訴外人が本件事故による受傷により死亡したものとの断定は困難であり、解剖した方が望ましいとの意向であつたことが認められ、成立に争いのない乙第七号証の二、乙第二〇号証によれば、訴外紀田玉栄の死体を死亡翌日の昭和四八年五月一五日に大阪大学医学部内の大阪府死因調査事務所において医師若杉長英により解剖した結果、同人の死亡原因はまず子宮癌の疑いがもたれ、子宮摘出後の癒着のため、尿道が塞がれ腎臓に尿がたまり圧迫されたもので、「水腎症」が直接的死因であること、また死体解剖の主要所見では膀胱、直腸ろう周辺壊死、子宮切除症、動脈硬化症、全身浮腫、細胞組織検査により膀胱、腎臓に瘤細胞、間質肺炎を認めたこと、登根医師が腟、直腸ろう発生の原因とみていた「局所の栄養障害、血行障害」も結局のところ、癌のためであるものと判明した等の事実が認められる。

また成立に争いのない甲第七号証の九および弁論の全趣旨によると、訴外紀田玉栄の既往症歴としては、同人は昭和四〇年三月二三日に子宮頸癌第二期、子宮筋腫、慢性付属器炎の病名で国立大阪病院に入院し、同年五月一八日に退院、直後ころから腹壁ヘルニア発病、昭和四三年七月三日腹壁瘢痕ヘルニア、左下肢血栓性静脈炎で同病院に再度入院し、同年八月六日退院、昭和四四年三月ころ牧野病院でヘルニア手術するも退院間近に再発し、再手術、昭和四五年八月ころ再発し、八尾市民病院で受診したが手術はうけず、以後腹帯を施す等して事故前まで経過してきたが、腹痛が持続していたことが認められる。

成立に争いのない乙第一四号証および原告本人尋問の結果によると、訴外紀田玉栄は前記のように決して健康体と言えるものではないにしても、それでも本件事故に遇うまでは毎日元気に家業である布団の製造、販売に精を出す傍ら、病弱であつた夫の世話にも当り夫婦だけの家計を維持しており、事故当時も夫のためたばこを買いに出た際この不幸に遇つたことが認められる。

成立に争いのない甲第七号証の一〇、証人登根一広の証言とこれにより成立を認め得る甲第三号証の一によると、訴外紀田玉栄は本件事故による受傷後二日目から吐血、下血を来たし、シヨツク状態を呈したが、輸血、輸液、止血剤投与で漸次軽快(因みに成立に争いのない乙第九号証によれば特に昭和四八年一月一八日夜から一九日昼にかけ血圧低下、脈搏微弱、胸内苦悶、排便困難、全身倦怠、意識混濁、失禁、一月二四日再び一般状態悪化し、吐血、下血、酸素吸入、同日から二月三日にかけ総量三六〇〇ミリリツトルの大量輸血を行なつたことが認められる)し、昭和四八年二月末ころ一応小康状態を持続するまでになつたことが窺われるところ、これら大量出血、大量輸血が訴外紀田玉栄の健康の衰弱にどのように影響したかの点については、証人登根一広の証言によつても、これが原因で同人が死因と推測した低蛋白、心衰弱になつたとは言えないし、死期を幾らか早めたであろうとの意味合いにおいては影響がなかつたとは言えないが、結局死亡という結果に対しては直接的なものではないことが認められ、これら認定の諸事実を綜合的に把握するとき、訴外紀田玉栄は直接的にはさきに認定したとおり子宮癌に起因する「水腎症」により死亡したものと認定するのが相当である。

このように、本件事故により訴外紀田玉栄が直接死亡したものではないとは言え、かと言つて右認定の事実に鑑みるとき、本件事故の数日後あたりから同人の健康状態は極めて悪化し、しかもこの状態はその後漸次軽快したとは言え、結局死亡時まで事故前のように際立つて回復することのないままに経過したものとみることができ、本件事故が全く同人の死亡に影響していないものでもないことは前認定のとおりであることからしても、同人の死亡を原因とする損害に関しては、発生した損害の公平な負担という不法行為における損害賠償制度の指導理念に照らして、その損害額の三〇%の限度においては本件事故が同人の死亡に影響を及ぼしたものとして、その因果関係を肯定するのが相当であると考える。

三1  前掲甲第三号証の一と原告本人尋問の結果および弁論の全趣旨から成立を認め得る甲第三号証の二、三、四、六によると、訴外紀田玉栄は前記受傷ならびに大量出血に伴なう輸血等の治療費として、長吉総合病院に一〇五万四五八〇円の支払を要することが認められる。

2  右甲第三号証の一によれば、訴外紀田玉栄は本件事故による受傷のため昭和四八年一月一五日から同年五月一四日までの一二〇日間長吉総合病院に入院していた事実が認められるところ、右入院期間中一日五〇〇円の割合による合計六万円の入院雑費を要したことは、経験則上これを認めることができるが、右金額を超える分については、その出捐を認めるに足る証拠もない。

3  右甲第三号証、原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨からその成立を認め得る甲第四号証の一ないし一五によると、訴外紀田玉栄は前記入院期間中全日に亘つて付添看護を要し、その間いずれも職業付添人が看護に付添い、合計四六万一九六〇円の支払を要したことが認められる。

4  訴外紀田玉栄は事故当時六七歳であつたが、家業の布団の製造、販売に従事していたものであることは、さきに認定したとおりであり、右事実によれば、同人は少なくとも同人と同年代の全国女子労働者が当時取得していた平均賃金相当額たる一か月四万七一〇〇円(昭和四八年賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計の賞与除外額)度程の収入を得ていたものと経験則上推認することができるところ、同人は本件事故により、昭和四八年一月一五日から同年五月一四日まで休業を余儀なくされ、その間合計一八万八四〇〇円の収入を失つたものと認めることができる。

四1  成立に争いのない乙第一四号証、原告本人尋問の結果およびこれによつてその成立を認め得る甲第六号証ならびに経験則によると、訴外紀田玉栄は事故当時少なくとも一か月四万七一〇〇円を下らない収入を得ていたものと認められるところ(同人の年齢等からしてここでもその収入推認に当つては賞与額は除外するのを相当とする)、同人の就労可能年数は死亡時から六年(当時の女子六八歳の平均余命一三、八二年の約二分の一)、生活費は収入の五〇%と考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、一四五万〇七五五円となる。

算式 四万七一〇〇円×一二×〇・五×五・一三三六=一四五万〇七五五円

従つて、このうち本件事故と相当因果関係のある損害額(三〇%相当分)は四三万五二二六円となる。

2  原告本人尋問の結果と経験則によれば、訴外紀田玉栄の死亡により、その葬儀のため少なくとも原告主張額たる二〇万円を要したことを認めることができるが、このうち本件事故と因果関係を認め得るのはその三〇%相当額たる六万円にとどまる。

3  本件事故の態様、被害者たる訴外紀田玉栄の傷害の部位、程度、受傷後死亡までの治療経過、同人の年齢、親族関係(原告が唯一人の相続人)、本件事故が同人の死亡に及ぼした影響度、その他諸般の事情を考え合せると、その慰藉料額は二一〇万円とするのが相当であると認められる。

五  原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨(記録に編綴されている筆頭者紀田新次郎の除籍謄本、同紀田長次郎の戸籍謄本)によれば、訴外紀田玉栄の死亡により、同人の権利、義務一切を夫である訴外紀田新次郎と、子である原告において相続したが、右新次郎(明治四五年一月二九日生)が、昭和五〇年六月一九日死亡したため、同人の権利、義務一切を子である原告において相続した結果、訴外玉栄の本件事故による損害賠償請求権も全部原告が取得したことが認められる。

六  請求原因四の事実は当事者間に争いがなく、被告会社代表者福田英吉尋問の結果およびこれと弁論の全趣旨から成立を認め得る乙第二四号証、乙第二七号証の一ないし四、前掲甲第三号証の二(乙第二五号証と同一内容)、甲第四号証の一ないし一五(乙第二六号証の二ないし一六と同一内容)によれば、被告会社は本件事故による被害者たる訴外紀田玉栄の損害に対し、右の他に被告らが第四に損害の填補として主張するとおり合計五五万八九六〇円の支払(但し、うち治療費五万円は紀田玉栄の本訴請求外の本件事故による損害につき支払われたもの)をしていることが認められる。

よつて原告の前記損害額四三六万〇一六六円から右填補分三五五万八九六〇円を差引くと、残損害額は八〇万一二〇六円となる。

七  本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告が被告らに対して本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は八万円とするのが相当であると認められる。

八  よつて被告らは各自原告に対し、金八八万一二〇六円およびこれに対する本件不法行為の日である昭和四八年一月一五日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訟訴法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 相瑞一雄)

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